八阪神社は京都祇園の八坂神社を勧請してきたもので、猪名川町内には各地域に多く存在しています。(素戔嗚神社も同じです)
柏原地区の八坂神社は、長暦3年(1039)に大野山に社殿を建立して牛頭天王・山王権現・磯の明神・八王子を祀ったとあります(『川辺郡神社誌』より)。境内にある石造水盤に彫られた銘文「沙弥浄蓮為三十三ケ年応安三年(1370)三月一日」の沙弥浄蓮は隣接していた西光寺にいた僧でしょうか。
杉生地区にある八阪神社は、秋祭りの練り込みで知られていますが、ここも古くから祀られていたようで、祭神は素戔嗚尊です。この西隣に現在空き地になっている場所がありますが、明治時代まで東光寺というお寺が存在したことが、古文書からわかっています。
どちらの八阪神社にも、拝殿が現存します。拝殿は農村舞台としても知られていて、全国的に多く現存するのは兵庫県で、猪名川町でも島・木津・槻並・下阿古谷など大半の地域に残っています。
江戸後期から明治末期、大正にかけて、社寺の祭礼に農民が歌舞伎を演じる地芝居や、播州役者などを招く買芝居が当時の娯楽として盛んに興業されました。
普段は会所として利用された長床(割拝殿)の舞台が多く、なかでも安政3年(1856)再建の棟札を持つ杉生八阪神社や柏原八阪神社の舞台は仮設の花道や太夫座だけでなく、盆に心棒をさして回すこま回し式の舞台を備えた大がかりな物まであります(現在は痕跡をとどめているにすぎない)。
(文責 末松早苗)