歴史・文化財を知る

猪名川町域の歴史は約2万年前の旧石器時代から始まります。弥生時代の遺跡や遺物は発見されていませんが、縄文時代以降の遺跡や遺物が発見されており、人々が古くから住んでいたことがわかります。

その後日本は律令官人制という行政システムが導入され法治国家となります。それに基づいて西暦700年前後に国・郡・里という行政区画ができあがり、猪名川町全域は摂津国川辺郡楊津郷となりました。ここでわかるように川辺郡は約1300年存続しているのです。(同じように由緒のある氷上郡や多紀郡という名称は平成の大合併で消滅)

その中でも町最北部の大島小学校区は古くから六瀬と呼ばれてきました。六瀬は文字通り猪名川にある六つの瀬の総称で、北から柿瀬(西畑・島)・渡瀬(鎌倉)・雲瀬(杉生)・鳴瀬(仁頂寺)・広瀬(清水)です。

六瀬という言葉が最初に登場するのは『古事談』という説話集です。この書物は 源顕兼という人が鎌倉時代に編集したもので、記述によると六瀬という地域名は平安時代までさかのぼることができます。

一般的に室町時代頃に村(惣ともいう)ができたといわれていますが、大島地区も例外でなく、今の大字つまり地区名に当たる部分例えば島や清水など、室町時代以降江戸時代を通じて摂津国川辺郡の村々でした。明治時代に入ると摂津国は大阪府と兵庫県に分かれますが、これらは兵庫県川辺郡の村々として明治22年まで存続します。ところが、その後市町村制が施行されて(これが日本における第一次大合併で、第二次大合併は昭和20年代、第三次大合併は平成)村々は合併され、猪名川町北部全域(猪名川町万善以北)が兵庫県川辺郡六瀬村となりました(因みに町北田原以南は中谷村となる)。六瀬という地域名が復活したのです。

昭和30年にこの2つの村が合併してできたのが、現在の兵庫県川辺郡猪名川町で、町政施行60年余りを経過しています。しかしながら現在でも六瀬地区という呼称が使われることが多いです。(文責 末松早苗)

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